余命を宣告されて変わった事

余命を宣告されたことがあります。
 
病名は『悪性リンパ腫』
 
 
 
24歳の時、仕事を辞め2度目の就職活動をしている時でした。。
 
そんな日々に、ある人から『甲状腺が腫れてるんじゃない?』と言われました。
 
その一言が気になり、病院を受診しました。
 
数時間後に、就職の面接を控え軽い気持ちでの受診でした。
 
結果は、エコーで気になる部分があるから、組織検査をしましょう。一人で来ないでください。。。という話でした。
 
これからどうなるんだろう。何がどうなの?とただ不安でいっぱいで、その日の面接は、よく覚えていません。もちろんご縁もありませんでした。
 
その日から、私の病院通いが始まりました。
 
組織検査は、母が付き添ってくれました。名前を呼ばれ、診察室に入るとき、突然母が背中を強くたたいたので驚くと同時に笑ってしまいました。私は戦いのリングに上がるのか?と(苦笑)
 
組織検査も引っかかり、紹介状をもらい転院することになりました。私は我慢ができずに待合室で号泣しました。
 
私が通院していた病院は大きな病院でした。設備も、先生もおそらく県内トップクラスであろうこの病院でなぜ診察ができないのか、なぜ診断がつかないのか、声をあげて泣きました。
 
紹介状の病院では、両親が付き添いました。仕事を休んだことがない父がここにいる。それだけで、病状が深刻な事がわかりました。3人で診察室に入り、私だけ先に検査に行くよう促され外にでました。
 
血液検査をし移動するときに、父が病院を出て行くのが見えました。母に近づくと泣いていました。
 
それから、いろいろな検査をしました。痛くて、つらくて 長い検査。
これもよく覚えていません。
 
腹部のエコーの診察を案内された時、とうとう私の糸が切れました。その場にうずくまり、号泣しました。
 
『甲状腺で来ているのに、おなかは見なくていい。どうして全然違うとこまで検査するの、もういやだ。』
 
子どもが駄々をこねるように大声で泣きました。
 
『今日は帰らせてください。この子は人前でこんなに泣く子じゃないんです。』 父が言った・・・。
 
その日、それ以上の検査はできずに、後日PETに入りました。
 
 
 
・・・・・・・最終的に、何の異常もありませんでした。
 
 
 
何もない、健康であることが証明されるまで約1ヶ月。
 
子どものように声を上げて泣いた1ヶ月。
 
命には終わりが必ずくること
 
時間は残された寿命を刻んでいること
 
生きることは、苦しく、つらく、痛いこともある、
でも、、、それでも生きているそれだけで希望はあふれていること
 
身をもって実感しました。
 
 
それからは、心に蓋をしていた思い、言葉、願望を実現する為の
努力は惜しまないようになりました。
 
苦戦していた就職活動は、
 
1番入りたい会社で、1番やりたい仕事に就くことができました。
 
 
まだまだ、やりたいことだらけ、知りたい、行きたい、話したい
聞きたい、食べたい、遊びたい、学びたい、大切にしたい
大切にされたい
 
今を精一杯生きたい。
 
あなたも。

2022/1/21